空回り、かな。
本業多忙と夏休みにつき長期で休んでしまいました。
さて先日、とある用件の帰路、母と電車に乗っているときに、「老親介護が重荷で兄弟間やその配偶者同士がめちゃくちゃ険悪になっているケースが身の回りに多い」という話になりました。
で、その流れで、「あのさあ、ペロのことだけど、何か私が参加したほうがいいミーティングとかあるなら、教えて。私やる気あるから」と言ってみました。
そしたら、「うん、でも今のところないよ。それに、もう親御さんを亡くされてたり、きょうだいがいなかったり、いても疎遠になっちゃってる人が多いから。大人になってからもきょうだい関係が良好って、あまりアピールしすぎないほうがいいんだよ。それなりに難しい世界だから」。
・・・。
言葉もありません。「後見人とかもアンタに頼むつもりはない、もうメドはついている」だって。母らしい手配りですわ。
空回りかな?わたし空回りなのかな?うっすら、涙目になっていたような気もしたんだけど。
『少年犯罪厳罰化 私はこう考える』
佐藤幹夫・山本譲司編著/洋泉社・新書y/2007年
『自閉症裁判』の佐藤幹夫、『累犯障害者』の山本譲司という濃い二人の編著。弁護士、学者、少年更生施設の元職、教育ジャーナリストなど関連するさまざまな書き手が論じる。少年犯罪の「凶悪化」や「被害者感情への関心の高まり」によって行われた近年の少年法改正が厳罰化の流れを作った。より小規模な「少年院」で育て直しなどの更正教育を与えるのではなく、26歳以下の青年を収監する「少年刑務所」で刑罰を与えるという方向へ転換したのだという。そして論者の共通見解は「厳罰化は犯罪を抑制しない」ということ。
私の関心は最近の少年裁判でよく見かける「少年は広汎性発達障害だと診断を受けた」云々がどう考えられているかだった。つい先日町田の女子高生殺人でも弁護側が「少年の発達障害に配慮がない」と抗議していたけど、もろ定型発達者が対象のシステムである司法において、発達障害者に十分配慮するなんてことが現実的にありえるんだろうかと悲観してしまう。その後の処遇については「一人一人の更正プランを立ててチームであたる少年院」が「多人数を少人数で管理する少年刑務所」よりもずっと適していると感じる。
それにしても、それらの少年犯罪には何にも兆候がないんだろうか。それらの少年たちは、サポートからことごとくすり抜けてしまうんだろうか。犯罪に陥る前に引き止めるためのセーフティネットを整えることはできないんだろうか。被害者感情を置き忘れてきたこれまでの司法はよくなかったと思うし、当事者が厳罰を望むのは当然なのだけど、社会全体がアブないヤツは隔離しとけ、という脊髄反射的排除反応を示すのは、社会として退行だと思う。もっとほかにやることがあるはずだ。
『福祉を変える経営〜障害者の月給1万円からの脱出』
小倉昌男/日経BP社/2003年
「クロネコヤマトの宅急便」を作り上げたヤマト運輸会長小倉昌男氏が、退職後に私財を投じて「ヤマト福祉財団」を設立、理事長として福祉の世界へ乗り出した。そこで見たのは、障害者が作業所で一ヶ月働いて一万円しか得られない現実。小倉氏はこうした状況を打開するため、福祉に経営的視点を導入することを提唱し、セミナー開催や「スワン・ベーカリー」開業などに尽力した。経営的発想とは何かを平明に語る後半は、何も福祉に限らず経営学の基礎の基礎としてとても勉強になる。買い手の満足=カスタマー・サティスファクションに軸足を置き、「作ること」より「売ること」が大事だと喝破。うんうん、と何度もうなずいた。
ちなみに我が家は昔から、役人に楯突いて新領域を切り開く小倉氏のファンで、いまでも宅配便は基本ヤマトしか使わない。
ヘンリー・ダーガー展
会期末に滑り込んできた。
母と死別し、父の患いによって知的障害児の施設に入れられたダーガーは17才のときに施設を脱走。以降、病院の雑役夫として永い孤独を生きた。身体が動かなくなり老人施設に入ったのち、大家である芸術家ラーナーが整理のため部屋に立ち入ってみると、拾いあつめた膨大な私物のなかに『非現実の王国で』と題した長大な自作の物語と、数百点におよぶ挿絵が残されていた…。
はっきりと自閉症とわかっているわけではないらしいダーガーだが、作品からはかなり濃厚にその雰囲気がたちのぼっていた気がする。雑誌からの切り抜きをトレースした、似たような表情の少女たち。同じような構図。架空の国々の緻密な設定。あまりにも色鮮やかで美しい花々。ダーガーは「天候の話題以外には興味がなかった」そうだが、だからこそ描けたであろう、流れ行くさまをそのままピンで留めつけたような”生気”あふれる雲、雲、雲。
それにしても、原美術館とは到底思えない激混みぶりにびびった。「この構図がさ〜」といちいち論評と揶揄を加えながら見ている美大生風三人組(”やっぱ奈良美智って見てると落ち着くんだよね〜ェ”だそうだ)、至近から目をこらす男性ひとり客、真剣な彼女とナニコレ状態な彼氏の凸凹カップル、そんななかに混じって涙を浮かべながら静かに鑑賞して回るひとも。いろんな動機が鑑賞態度に見えて、しかし公開を望まなかったというダーガー自身の遺志にも思いをめぐらさずにはいられない。
図録を買って、帰ってきた。そういえば『自閉症の君は世界一の息子だ』にも記述(ダルジャーと表記)があったし、斎藤環『戦闘美少女の精神分析』にも一章が割かれているそうだ。ダーガーが生み出した、残虐で無慈悲な大人と命を賭して戦う少女たちは「ヴィヴィアン・ガールズ」と名付けられている。